こんにちは、あんずだいだいです。読んでくださって、ありがとうございます。
今日は、私のぼやきというか、心のつぶやきみたいなお話です。考えてもしょうがないんですけど、ふとした時に思っちゃう──そんな、余計な心配をする母のお話です(笑)。
1年半ほど前、アメブロにこんな問いを書いたことがあります。「障害者になると、選択肢が狭まるのかな?」──あのときは、問いを書いただけで終わりました。今日はその続きを、今の私がもう一度考えてみようと思います。
1年半前に書いた、答えの出ない問い
その頃の息子は、友人との交流が増えて、仕事もあって、平穏な日々を過ごしていました。それはそれで、ありがたいこと。でも私の中には「本当のところ、息子はこれからどうしたいんだろう」という気持ちがあって、あの問いになったのだと思います。
……「思います」と書いたのは、実は、何がきっかけでそう感じたのか、もう思い出せないからです(笑)。時間が経つと、あのときの感覚って薄れていくんですね。
でも、問いだけは消えずに、今も私の中に残っています。
「選択肢がある」って、どういうことだろう
私の実感を、正直に書きますね。
「選択肢がある」ということは、「ある程度の収入がある」ということと、ほぼ重なると思っています。
みんながお金を欲しがるのは、贅沢がしたいからというより、選択肢が増えるからじゃないでしょうか。もちろん、お金で買えないものがたくさんあることは、分かっています。それでも──です。
「障害」と名がつくのは、社会の中で生きづらいことがあるから。そうなると、収入の面でも、やっぱり限界があります。息子も今は、障害年金と公的な支援制度で生活しています。
だから「選択肢が狭まるのかな」という問いへの今の私の答えは、「狭まらない」とは言い切れない、です。きれいごとは書きたくないので、正直に。
それでも、可能性はゼロじゃないと思えた日
ただ、それだけでは終わらないのが息子でして。
今年の3月、息子は独学で簿記3級に合格しました(このお話は前に書きました)。
あの頃の息子は、目がきらきらしていました。わくわくした感じが、そばにいる私にまで伝わってくるほどに。合格祝いの席では、将来への願いがぽろりとこぼれる場面もありました。
きっと、うれしかったんだと思います。自信もついたんだと思います。「自分の人生、諦めなくていいんだな」──そう感じていたんじゃないかな。あのとき私は、息子から力強さを受け取りました。
可能性は、ゼロじゃない。そう思えた日でした。
心の奥の気持ちに、蓋をしているのかな
じゃあ、本人に「これからどうしたいの?」と聞けばいいのかというと──たぶん、うわべの答えしか返ってこない気がしています。そこまで深く考えていないのかもしれません。
口では「このまま生活できればいいよ」と言っています。でも、心の奥底では、自分の本当の幸せに蓋をしているのかな、と思うことがあるんです。
これは、息子のペースで考えていくしかないこと。自分の中で何かに気づいたとき、そのときが、本人が選択するときなんだと思います。私にできるのは、見守ることだけです。
さいごに──自分の本心を知るのは、怖い
自分の本心を知るのって、怖いですよね。
それがもし「諦めなきゃいけないこと」だったりしたら、なおさらです。だから蓋をする。それは、弱さではなくて、自分を守る方法のひとつなのかもしれません。
そして、これを書きながら気づいてしまいました。もしかしたら私自身も、自分の本心に蓋をして生きているのかもしれない、と。
息子は息子の人生。私は私の人生。
1年半前の問いは、今日も問いのままです。……なんて、やっぱり余計な心配をする母ですね(笑)。
息子がどんな選択をしようと、じっと見守る。そんな強い母でありたいなぁと思っています。
今日も読んでくださって、ありがとうございました。


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