介護保険が始まった年。ケアマネさんが見つからなくて、たらい回しにされた話

こんにちは、あんずだいだいです。
読んでくださって、ありがとうございます。

今日は、介護の話です。

2000年。

介護保険という制度が始まった、
その年に、私は義理の父を介護していました。

制度が始まったばかりの頃の、
右往左往の話です。

 

🍊

 

義理の父は、肺がんでした。

一緒に住んでいたわけではなく、
片道1時間ほどのところに。

週に何日か通って、
1年8か月、介護しました。

義理の母は早くに亡くなっていて、
私一人でやりました。

今でいう、ワンオペです。

制度の話を、しようと思います。

 

🍊

 

介護保険を使うには、
まずケアマネージャーさんを決めないといけません。

これが、見つからなかったんです。

制度が始まったばかりの年。

介護保険を使いたい人が、
一度にどっと押し寄せて。

ケアマネさん一人が受け持てる人数には、
上限があって。

どこのケアマネさんも、
もういっぱい。

病院に聞けば、区役所へ。

区役所に聞けば、病院へ。

どこへ行っても、
「うちでは無理です」

区役所の対応なんて、
知りませんよ💢
という感じでした。

今は、ずいぶん良くなっていると思います。

でも、あの頃は本当に。

たらい回し、という言葉そのままでした。

どうしたらいいのか、
わけが分からなくて。

先が、まったく見えませんでした。

 

🍊

 

ある人に、教えてもらいました。

「ここに電話してみれば?」

接骨院の先生の、個人の番号でした。

ケアマネさんもしている先生で、
やっぱり、たくさんの利用者さんを抱えていて。

本当なら、
これ以上は受けられない人だったんです。

受けてもらえるかどうか、
電話したときには分かりませんでした。

事情を話しているうちに、
私の声が、だんだん涙声になって。

先生も、仕方なく、という感じで、

「じゃあ、やるよ」

そう、言ってくださいました。

ほっとして、うれしくて、
心があったかくなりました。

このケアマネさんが、
とにかく仕事が早かった。

うちの状況をすぐに把握して、
計画も、すぐに出してくれて。

あの電話がなかったら、
どうなっていたんだろう。

今でも、そう思います。

 

🍊

 

もうひとつ、忘れられないのが、
介護度を決める面談です。

役所の人が、
義父に会いに来ます。

そこで義父が、言ったんです。

「お風呂は、自分で入れます」

「トイレも、自分で行けます」

ちょっと待ってよ、と。

入れていないし、
行けていないんです。

でも、義父の前では、
黙っていました。

お年寄りは、人前だと
しゃんとしてしまうんだそうです。

みんなあることらしいです。

それにしても、
よく言ったもんだと思います。笑

あとで、うちの事情を話しました。

これ以上は、面倒を見きれません、と。

返ってきたのは、

「ご家庭の事情は、関係ありません。
ご本人の状態で決まります」

そう言われれば、
そうなんですけどね。

言い方に、むかっとしました。

結果は、介護度2。

 

🍊

 

制度が始まったばかりで、
介護保険そのものが、
しっちゃかめっちゃかだった年。

使う側も、受け持つ側も、
みんな手探りで。

だから、あんなに大変だったんだと、
今なら分かります。

今は、相談できる窓口もあって、
調べれば情報も出てきて。

あの頃の私が聞いたら、
うらやましがると思います。

今日も読んでくださって、
ありがとうございました。

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