日本中がお祝いムードだったあの日、息子は統合失調症と診断されました

こんにちは、あんずだいだいです。読んでくださって、ありがとうございます。

今日は、ずっと書きたいと思っていたことを書きます。息子が統合失調症と診断された、13年前の「あの日」のことです。

2013年9月。日本中が、あるニュースでお祝いムードに包まれた日のことでした。

「なんか変だな」──就活がうまくいかなかった頃

息子の様子が変わってきたのは、大学を卒業して就職活動をしていた頃でした。いろんな会社を受けに行くのですが、うまくいかない。面接の時間が守れない。自分が思ったように行動できない。表情も少しずつ厳しくなって、どんどん自信をなくしていったような記憶があります。

──「記憶があります」なんて書きましたが、正直に言うと、うっすらとしか覚えていないんです。あの頃は、私自身にも余裕がありませんでした。生活はできている。でも、心のどこかが幸せじゃなかった。自分のことでいっぱいで、息子のつらい気持ちに、ちゃんと気づいてあげられていなかったと思います。

「お母さん、危ないから家を出よう」

はっきり「変だ」と思ったのは、息子が現実と違うことを言い出したときでした。

ある夜、突然「お母さん、危ないから家を出よう」と言うんです。「え、急にそんなこと言われても……」と戸惑う私に、「着替えも何もしないでいいから、とりあえず出るんだ」と。一緒に外に出て10分ほど歩くと、今度は「ああ、もう大丈夫。家に帰ろう」。

私には、わけがわかりませんでした。この子には今、何が見えているんだろう。一体、何が起きているんだろう──。

まず私ひとりで、病院に相談に行きました

息子は「自分はおかしくない」「なんで病院に行かなきゃいけないの」という状態で、病院に行きたがりませんでした。そこで夫のすすめもあって、まず私ひとりで病院に相談に行くことにしました。迷いはありませんでした。それくらい「おかしい」と感じていたからです。

息子の様子を話すと、お医者さんはこう言いました。

「ほぼ間違いなく、統合失調症でしょう。症状がひどいので、早く連れてきたほうがいい」

正直、「何、その病気?」と思いました。当時は今ほど「統合失調症」という言葉が知られていなくて、私はその病名を聞いたことすらなかったんです。あとになって、昔の呼び名なら知っている病気だとわかるのですが──名前が変わっても、病気の大変さが変わるわけではありませんでした。

「タイミングを待とう」──でも、不安は消えませんでした

病院からの帰り道、頭の中は「どうやったら息子を病院に連れて行けるか」でいっぱいでした。あんなに拒否している息子を、力ずくで連れて行くなんて無理です。小さい子どもじゃあるまいし(私は小柄ですが、息子はそれなりに身長がありますから……)。

夫と相談すると、夫は「行くタイミングがいつか来る。その時まで待とう」と言いました。そうだな、と思いました。でも──そのタイミングが来るまで、この子は本当に無事でいられるんだろうか。その不安だけは、どうしても消えませんでした。

その日は、突然やってきました

きっかけは、息子が2度目に警察のお世話になったときでした。

保護された息子を夫の車で迎えに行きながら、「このまま病院に連れて行こう」と夫と決めました。病院には前もって相談していたので、着いたら男性スタッフの方が待機してくれる手はずも整えてもらっていました。

病院に着くと、夫が言いました。「ここは病院だから、今からお前をここに連れていく」

すると息子は──観念したように、誰の助けも借りず、自分の足でしっかりと歩いて、病院に入っていったんです。

あのとき息子は、何を思っていたんでしょうね。覚悟したんでしょうか。どこかで冷静さを保っていたんでしょうか。それは、息子にしかわかりません。ただ、思い出すと、今でもやっぱり、つらいです。

診察室で──半分は、ほっとしました

診察室には、息子と一緒に入りました。そして息子と並んで「統合失調症です」という診断を聞きました。そのまま、その日のうちに入院が決まりました。

そのときの気持ちを正直に書くと──半分は、ほっとしました。

だって、わけのわからない行動の「原因」がわかれば、治療の方法があるじゃないですか。どうすればいいか、方向性が定まるじゃないですか。プロの方に診てもらえる。私ひとりで抱えていたら、息子に何が起きているのか、わからないままだったんですから。

じゃあ、もう半分は? と聞かれると──これが、言葉にできないんです。どんな言葉も当てはまらない。あえて言うなら「無」みたいな、何の感情もない、そんな感覚でした。

意外だったのは、息子の反応です。「あ、やっぱり」という感じだったんです。えっ、と思いました。あとで落ち着いた時期に聞いてみると、大学時代にこの病名を知る機会があって、「自分がそうなのかな」となんとなく思っていたそうです(ところが何年かして「あのとき、そう言ってたよね」と話したら、「覚えてない」と言われました。不思議なものですね)。

待合室のテレビでは、オリンピックが決まっていました

その日のことで、忘れられない景色があります。

入院を待つあいだ、待合室のテレビがついていました。映っていたのは──「2020年のオリンピック、東京開催が決定」のニュース。日本中が沸いて、お祝いムードいっぱいの、まさにその日だったんです。

ああ、そうなんだ。日本がこんなに盛り上がっている日に、私の家族は、こうなったんだ──。

そのチグハグさというか、ズレのような感覚。あの待合室の景色は、断片的なのに妙にリアルで、13年経った今でも、その時の感覚ごと思い出すことができます。なんだか、忘れられないんです。

さいごに ── 13年経った今も

なんでこんなことになったんだろう。実は今でも、ふとそう思うことがあります。13年経っても、言葉にできない気持ちは、言葉にできないままです。

でも、これだけは書いておきたいと思います。あの日、自分の足で歩いて病院に入っていった息子は、それから入退院を9回くり返して、今は入院せずに3年。グループホームで暮らしながら週3日働いて、自分の足で立とうとしています。

あの日は、終わりの日ではなくて、始まりの日でした。

今日も読んでくださって、ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました