こんにちは、あんずだいだいです😊
息子が統合失調症と診断されたのは、23歳のときでした。でも今振り返ると、サインはもっと前から出ていたんです。
今日は、息子の高校時代のお話をしようと思います。当時の私は、何も気づいてあげられませんでした。その頃のことを、正直に書いてみます。
華々しい高校デビュー
息子は、第一希望だった高校に合格しました。本人も「受かるのは難しい」と言っていた高校だったので、きっと自信もついたと思います。
中学まで眼鏡だったのをコンタクトレンズに変えて、背もぐんと伸びて。親バカですが、なかなか華々しい高校デビューだったと思いますよ。
どちらかといえばおとなしい、ごくごく普通の子。私はそう思っていました。
「あれ?」と思った小さな変化
最初の変化は、コンタクトレンズでした。せっかくコンタクトにしたのに、急にまた眼鏡をかけるようになったんです。
理由を聞くと、息子はこう言いました。
「僕の目がおかしいから。みんなが僕の目を見ないように、眼鏡をかけてるんだ」
私には、普通の目にしか見えませんでした。息子は一人で眼科にも行っていたようです。もちろん「異常なし」。
今思えば、あれが最初のサインでした。でも当時の私は「何を言ってるんだろう?」と思っただけでした。
学校からの呼び出し
1年生の2学期ごろ、担任の先生から「ご両親そろって学校に来てください」と連絡がありました。呼び出しは二度あって、二度目は夫も一緒でした。
担任の先生、学年主任の先生、保健の先生。3人の先生から言われたのは、こういうことでした。
「授業中ずっと外を見ていて、全く授業を受けていません」
理由を聞くと、息子は「みんなに悪口を言われているから」と答えたそうです。でも先生が調べても、他の生徒に聞いても、そんな事実はどこにもありませんでした。
たまたま同じクラスに知人のお子さんがいたので、それとなく聞いてみたことがあります。返ってきたのは、不思議そうな顔でした。悪口どころか、話題にものぼっていない、と。
家でも、息子は言うようになりました。
「ほら、お母さん。今、家の下に学校の子が来て、僕のことを変に言ってる」
家を覗けるような場所なんて、どこにもないのに。
「思春期の不安定さ」と片付けてしまった
先生は、病院を勧めてくれていました。
でも私は夫と話して、「思春期の不安定さだろう」で片付けてしまったんです。
不登校の子は世の中にたくさんいるし、そのうちの一人なのかな、くらいに。「行きたくないなら、休んでもいいよ」とは言っていましたが、それ以上のことは何もしませんでした。
あの頃はまだ、統合失調症という病気が今ほど知られていなかった時代です。私は、そんな病気があることさえ知りませんでした。
息子は嫌がりながらも学校には通っていました。背中を丸めて、元気のない高校生活だったと思います。
大学受験の失敗と、あの日の大喧嘩
それなりに勉強のできる子でした。なのに大学受験では、受けたところすべてに落ちてしまったんです。
願書の締め切りを守ることもできなくなっていました。今なら分かります。あれは怠けていたんじゃなくて、病気のせいで、もうそれどころではなかったんですよね。
でも当時の私は知りません。「なんであなたはそんなにルーズなの!」と、大喧嘩をしたことがあります。
そのとき息子は、目にいっぱい涙をためて、私に向かってきました。何を叫んだのかは、もう覚えていません。
今思い出すと、胸が苦しくなります。あの子はあのとき、誰にも分かってもらえないまま、たった一人で戦っていたんです。
大学では生き生きしていたけれど
一年浪人して、息子は大学に入りました。
大学は楽しかったようです。高校ほど濃い人間関係を求められないのが、合っていたのかもしれません。居酒屋のアルバイトも、文句を言いながら楽しくやっていました。
「ああ、よかった。もう大丈夫」
私はそう思っていました。
でも最近、息子に聞いてみたんです。「大学の頃は、何もなかったよね?」って。返ってきた答えは、「いや、幻聴とかあったよ」でした。
サインは、消えていなかったんですね。
さいごに ──
振り返れば、サインはたくさんありました。眼鏡のこと。悪口のこと。先生が勧めてくれた病院に、行かなかったこと。
「あのとき気づいていれば」——そんなふうには、あまり考えないんです。
ただ、あの頃のことを思い出すと、今でも涙が出ます。胸が苦しくなります。あの子は、たった一人で戦っていたから。
でもね、あの頃の私は、統合失調症という病気を知らなかったんです。知らないものには、気づけません。しょうがなかったんですよね。
だから、あの頃の自分を責めることは、もうしていません。その代わり、母として知ったことを、こうしてひとつずつ書き残していこうと思います。
今日も読んでくださって、ありがとうございました。

コメント